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永尾健史のマイストーリー②「飛び込み営業に駆け回った新入社員時期」

国内でも数少ない中東市場を開拓済。20カ国超に「日本」の良さを伝える食品・輸出コンサルタント、永尾健史です。今回は、私がまだ社会人になりたての頃のお話になります。

写真は関係ないですが、若い頃の写真です。(笑)


最初の新入社員研修を経て、いざ配属先決定というところで、私が打診を受けたのはまさかの営業部でした。大学の専攻柄、生産管理の仕事に就くものとばっかり思っていたので、営業への抵抗が強く、一時期は会社を辞めてしまおうかとすら考えました。

しかし、「お前は工場にいる人間じゃない」と周囲の誰もが口を揃えて言うので、思い切って営業職にチャレンジしてみることにしました。


大阪に配属されて、最初は毎日が飛び込み営業でした。行けども行けども門前払いの繰り返しで、途方に暮れていたときに、ある転機が訪れました。

上司の勧めで参加した勉強会で、自分とほぼ同じタイミングで営業を始めたのにも関わらず、会に参加していた誰よりも楽しそうに仕事のことを語る仲間と出会えたのです。

彼とはあっという間に意気投合し、昼に待ち合わせて仕事の話をしながらご飯を食べたり、プライベートで一緒に遊びに行ったりする仲になりました。彼から営業のやり方を聞くうちに、もっと自分も前向きに取り組まなくてはと思うようになりました。

そこからは、飛び込み営業に行くたびに相手の反応を観察しながら、相手が何に関心を持っているのか、どうやったらより良い反応を引き出せるのか、工夫をこらすようになりました。


そうやっていくと、徐々に案件も取れるようになっていきますし、成果もでる分、仕事がどんどん面白くなってくるわけです。今振り返ってみると、その後のキャリアにおける営業やコミュニケーションの基礎は、新入社員のときの飛び込み営業の積み重ねで培ったのかもしれません。


営業からオフィスのトータルプロデュースへ


そうして半年を過ぎた頃、ようやく慣れてきた大阪から東京へと居を移すことになりました。海外の考え方を取り入れながら、医療施設や高齢者施設のトータルコーディネートを請け負うプロジェクトが新たに東京で立ち上がることになり、その一員に加わることになったのです。


東京では仕事の自由度が上がった分、出来ることの幅も増え、人脈も一気に広がりました。トータルプロデュースということで、家具に限らず様々なものをまとめて販売するようになったのですが、経験してみて感じたのは「お客様が求めているものを揃えれば何であろうと売れる」ということでした。


営業で駆け回り、毎日新たな人との出会いを経験する中で、当時の私はボランティア活動にも力を入れていました。パッチ・アダムスを招聘したイベントを手伝ったり、重度の障がいを持つ子ども達やお母さんと一緒にデザイナーの下絵に基づいて病院の壁をペインティングする企画の運営をサポートしたりと、仕事だけではできない経験を沢山させてもらいました。


子ども達の笑顔や家族のふれあいを見るたびに、涙が溢れそうになりました。仕事との両立は大変な部分も確かにありましたが、イベントや企画を終えるたびに、「本当にやってよかった」という気持ちで一杯でした。

そうこうしているうちに3年が経過し、営業としての自信が着実に身についてきた頃合いで、当時の上司から会社を辞めて起業するという話を聞きました。彼に誘いを受けたことを機に、環境を変えてみようと転職を決意。


今回のブログではここまでです。

次回は、「ベンチャー企業の立ち上げから破綻までを経験」の話です。


 
 
 

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