永尾健史のマイストーリー③「ベンチャー企業の立ち上げから破綻までを経験」
- 健史 永尾
- 2025年4月20日
- 読了時間: 4分
更新日:2025年7月1日
国内でも数少ない中東市場を開拓済。20カ国超に「日本」の良さを伝える食品・輸出コンサルタント、永尾健史です。今回はベンチャー企業の立ち上げから破綻そして転職のお話です。

ベンチャー企業の立ち上げから参画し、資金周りも含めて経営の内部まで把握できるポジションに就くことになりました。新会社の経営自体は滑り出しから順調で、売上も着々と伸びていきました。
そのまま順風満帆でいくかと思われた矢先に、進行中だったプロジェクトで詐欺が発覚。想定していた売上が全てなくなり、仕入れで先出しした分の負債だけが残されました。
キャッシュフローが回らなくなり、数ヶ月間必死で駆けずり回ったものの、どうにも穴埋めできないという事実に直面しただけでした。業界の動向的にも1994年に見直された新ゴールドプラン(新高齢者保健福祉推進10ヶ年戦略)からの好景気が収まりだしていた頃合いで、受注の伸び悩みも予想されました。
そんな状況だったからこそ、社員たちに少しでも誠実にありたい、そして自分の心にも素直でありたいという思いから、お金周りをできる限り整理した上で、会社を辞め、次のキャリアを探すことにしました。
老舗食品卸会社への転職と20年間の積み上げ
次はベンチャーではなく、もっと安定した会社に勤めたい。そう考えた私が次の転職先として選んだのは、近江商人の流れを汲んだ4世紀以上の歴史ある食品関係の商社でした。
建築から食品という畑違いの業界への転職だったにも関わらず、「苦労しているやつは絶対に仕事をする」という理由で採用いただき、従来とは全く違う分野で営業をし始めました。
商社ということで、海外にも関わっていけるのではないかという思いがあったのですが、実際に働き始めてみると予想以上に業界の体質が古く、商談のやり取りの中にもブラックボックスが多数存在することが分かってきました。
最も大量に売れるのが砂糖だったのですが、取引が成立した際でも、果たして利益が出ているのかどうかすら営業サイドでは分からない。そんな不思議なことが多々発生していたのです。
最初の1年はひたすら新規の取引先開拓に励み、仕事を作っていったのですが、いくら取引を増やしていったとしても従来のやり方を続けていたら、いずれ限界が来ることは目に見えていました。競合は無数にある中で、値引きを繰り返すだけの価格競争に陥ってしまっていたからです。
そこで私は、視点を変えました。
競合が多いなら、「自分が選ばれる理由」を作ればいい。
「お客様が何を求めているのか」という問いに立ち返り、人間同士の関係を築きながら、相手の声に応じて商品の幅を広げていけばいい。
そう考えたのです。
そこからはひたすら、お客様のもとに出向いてはヒアリングを重ねました。「どんな仕事をしているのか」「普段はどんなものを買っているのか」短いお客様でも30分、長ければ4時間、ひたすらお客様の話を聞き続けました。
そうしていくうちに、断片的だった情報のピースがパズルのようにハマり始め、お客様ごとにどんな提案をすれば刺さるのかが自然と浮かんでくるようになったのです。
競合他社では絶対にやらないであろう、食品とは全く関係のないご提案もよくしていました。
一緒に商品開発
スタッフ教育を手伝う
マーケティングの勉強をサポート
営業マンの提案書の作り方をアドバイス
事務所のレイアウトを構築
など、とにかく相手が喜んでくれることなら何でも、20年間ひたすらやり続けました。その間に食品の取り扱いの幅もどんどん広げていき、最終的には数え切れないほどになりました。
20年かけてお客様にとことん寄り添うことで、会社という枠組みを越えて、永尾健史という人間を「代えがきかない存在」にしていったのです。
今回のブログではここまでです。





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